発酵の沼 — 06
同じレシピなのに味が違うのは、たいてい置き場所の温度のせいです
テロワールを、測れるものに分けてみる
読了目安 約8分

同じレシピで、同じ店の材料を買って、去年と同じ手つきで仕込みました。それなのに、開けてみると去年と違う。手づくりの味噌を何年か続けている方が、ほぼ全員ぶつかる経験です。
この差の説明として、いちばんよく聞くのが「その土地の菌」「うちの家の菌」という言い方です。悪い説明ではありません。その場所ならではの菌がすみついていることは、実際に測定で確かめられています。ただ、それがどれくらい効いているのかとなると、話は少し変わってきます。
きほん第5章では「置き場所の温度履歴が半年後の色と速さを決める」と書いて、その中身までは立ち入りませんでした。この章で扱うのは、その中身です。味の違いを、効いている大きい順に並べ直して、測れる部分と、測っても残る部分に線を引いていきます。
その場所ならではの菌は、たしかにいます。ただ効き方の順番は、語られてきたのと少し違います
まず、確かめられている部分を認めるところから始めます。酒蔵の床、木の棚、布、仕込みタンクの表面をぬぐってDNAを読むと、原料(麹や水)についている菌の顔ぶれと、建物側の菌の顔ぶれは、はっきり別のものでした。建物には建物の住人がいる。ここまでは確かです。
酒母を1か月ほど追いかけた研究では、その環境の菌が実際に仕込みへ入っていくことも追えました。出どころとして目立ったのは、仕込みタンクの表面や布、それに麹室や冷蔵室の床です。ただしこの研究は、採る場所を床・道具・原料の10か所に絞っていて、壁と天井は最初から対象に入っていません。壁について何かを言える結果ではないんです。
一方、「蔵の壁を塗り替えたら味が変わった」という有名な話のほうは、査読論文にも公的機関の資料にも、もとになる情報が見当たりません。改築のときは、人も空調もタンクも一緒に変わります。壁の菌だけを取り出すのは、じつのところかなり難しいことです。
そして、テロワールという言葉にとって、いちばん大事な結果があります。蔵付き細菌を産地ごとに分類してみても、地域のまとまりは現れませんでした。菌はその土地から供給されたというより、たまたまその蔵に入り込んで居ついた、と解釈されています。
効き方の大きさも測られています。ワインでは、6つの産地から集めた酵母を、同じ産地の同じロットの滅菌した果汁で発酵させるという、変数をひとつだけにした実験があります。産地由来の酵母で説明できた化学組成のばらつきは10%、香りとしての効きで重みづけしても12.7%でした。ブドウの果皮の菌叢を調べた別の研究でも、産地が説明する分散は真菌13.7%・細菌6.6%で、品種(真菌23.9%・細菌12.9%)のほうが大きいという結果です。
味噌はというと、そもそも同じ水準の検証がまだありません。業界の技術文献も「添加した菌以外の微生物が関与していることが推測されている」と書くにとどまっています。つまり「蔵の菌が味噌の味を決める」は、否定された説ではなく、まだ確かめられていない説なんです。
では実際のところ、何がいちばん効いているのでしょう。順番はおおよそ、温度履歴、原料のロット(大豆の品種と作柄、麹の酵素力価)、仕込みの物理条件(粒度・水分・詰め方)、環境由来の菌、という並びだと見るのが自然だと思います。伝承が間違いだったわけではありません。伝承の中身が、測れるようになったということです。

家庭の味噌が毎回違うのは、置き場所の温度が違ったからです
ここで主語を、場所から条件へ移してみます。あなたの台所も、たしかにひとつの微生物環境です。けれども家庭で味噌ができるのは、そこに特別な菌がいるからではありません。塩が入り、酸素が減り、pHが下がっていく。この条件が揃えば、その環境に合う菌だけが選ばれてくるからです。
味噌の中は、できあがりの重量に対して食塩がおよそ10〜13%、pHは5前後という、かなり極端な環境です。ここで増えられるのは、耐塩性乳酸菌 Tetragenococcus halophilus や耐塩性酵母 Zygosaccharomyces rouxii のような、ごく限られた顔ぶれだけです。ですから「素手で混ぜて自分の常在菌を入れると、その家の味になる」という話は、仕組みとしては成り立ちにくいところがあります。皮膚の常在菌がこの選択圧を勝ち抜けるという根拠は、いまのところ見つかっていません。
ただし、この選択圧の強さは味噌の種類でかなり違います。食塩がおよそ5〜7%と低い甘味噌は、辛口の味噌と同じ守りがかかっているとは言えません。水分が多くて、短い期間で仕上げることを前提にした、別の設計だと考えてください。
逆に言えば、順番を知って初めて、寄せにいく手が決まります。年ごとのブレを減らしたいなら、固定したいのは4つです。置き場所、仕込む時期、容器の大きさ、原料の入手先。この4つで、いちばん効くもののほうを、だいたい押さえられます。
半年とは日数ではなく、温度の積み重ねのことです
進み具合を決めているのは日数ではなく、速さと時間のかけ算です。日数は、その近似にすぎません。この考え方を積算温度と呼びます。
数字で見ると、温度の効き方は乱暴なほどです。味噌を温度別に置いた試験では、20℃に4か月置いた味噌は明度が15.0から7.4へ、つまり半分以下まで暗くなりました。同じ4か月でも15℃なら11.9で、2割ほどの低下にとどまります。5℃では14.1で、成分も色もほとんど変わっていません。着色そのものを測った別の報告では、3か月後の着色度が4℃で約1.4倍、20℃で約2.2倍、37℃では約17倍でした。
ですから「20℃で3か月」と「10℃で6か月」は、日数が倍違っても、近い到達点になりえます。ここまでは、積算温度という考え方で近似できます。
ただ、単純な足し算では足りません。ここがおもしろいところで、反応ごとに温度への敏感さが違うんです。色をつくる褐変は、低い温度帯では10℃上がるとおよそ2倍ですが、高温側ではもっと急に立ち上がります(さきほどの実測から概算すると4倍を超えます)。一方、酵素による分解のほうは、温度を上げすぎると酵素そのものが壊れて止まってしまいます。同じ面積でも、高温短期と低温長期では、たどり着く組成が違う。速く作った味噌と、時間をかけた味噌が別物になる理由は、ここにあります。

なお、家庭の温度変動(冬は10℃、夏は35℃)から熟成の進み具合を換算する、公開された計算モデルは見当たりません。予測がなぜ成り立つのか——進み具合は温度の積み重ねだから——という理屈は、ここまででお話しできます。けれども、自分の置き場所の温度を実際に線にして食べごろを見積もる作業は、ブラウザの仕事ではありません。
素材を変えると、壁の高さが全部ずれます
大豆でなくてもいいのでしょうか。この問いには、「できます。ただ、変わるのは味だけではありません」と答えるのが正確です。材料(基質)を変えるとは何を変えることなのか、ひとつずつ分けてみます。
まず味です。タンパク質の量と組成が変われば、切り出されるアミノ酸の組成が変わって、旨味の質そのものが動きます。実際、大豆麹だけでつくる豆味噌はたんぱく質が100gあたり17.2gで、辛口の米味噌の12.5〜13.1gより明らかに多いです。デンプンや脂質の比率が変われば、糖化と香りの経路の重みも変わります。ひよこ豆はデンプンが多く、ナッツ類は脂質が多いので、脂質に由来する香りが前に出てきます。
ちなみに、米味噌・麦味噌・豆味噌という分け方は、主原料の分け方ではありません。「大豆に何の麹を合わせるか」の分け方です。麦味噌にも大豆は入っています。素材を替えるという話をするときは、替えているのが大豆側なのか麹側なのかを、先に分けておくと混乱しません。
そして安全のほうです。深掘り第3章のハードル理論に照らすと、素材を変えることは、壁を1枚だけ動かすことではありません。水分も、糖の量も、pHの落ち方も同時に変わるので、壁の高さが全部ずれます。
再現できないことと、制御できないことは違います
変数をすべて揃えても、完全な再現はできません。発酵は、はじめのわずかな差が、時間をかけて大きくなっていく仕組みだからです。業界の技術文献ですら、味噌は熟成の初めから組成的にも温度的にもむらがあるので、同じように仕込んでもなかなか同一のものはできない、と正直に書いています。
ここで多くの説明が、「だから発酵は分からない」「そこに豊かさがある」という方向へ滑っていきます。けれども、再現できないことと、制御できないことは、実は同じではありません。
完全に一致しなくても、ばらつきの幅は動かせます。置き場所を決めれば温度履歴のブレが縮み、麹の入手先を固定すれば、入ってくる酵素の量のブレが縮む。大豆の煮上がり倍率ひとつ取っても、2.2倍か2.6倍かでできあがり量は10%変わって、できあがりの重量に対する塩分は1ポイントほど動きます。測っていない変数は、動いていないのではなく、見えていないだけなんです。
そのうえで、あえて振る変数をひとつだけ選んでみましょう。すると前回との差を、その1つのせいにできるようになります。2つ以上を同時に動かすと、何が効いたのかは永遠に分かりません。これは実験の作法であり、同時に、いちばん早く上達する道でもあります。
あなたはもう、伝統をなぞるだけの側ではありません
ここまでの12章で、味噌は一度も「不思議なもの」として出てきませんでした。酵素の速さ、麹に備蓄された道具の量、微生物が使える水の量、住人の交代、香りの分子、そして温度の積み重ね。どれも量として書けるものでした。
だから、ここまで読んだあなたはもう、レシピを守る側ではなく、条件を決める側にいます。次に仕込むとき、置き場所を選ぶ手つきが変わっているはずです。どこに置くかは味を決める操作なんだと、もう分かっているからです。
分担だけ、一度書いておきますね。原理を理解するのはこのページ。麹と大豆はショップ。そして条件を記録して、半年ぶんの温度を一本の線にして食べごろを見積もるのは、アプリの担当です。測定は一点では意味を持たず、線になって初めて情報になる。だからそこは、別の道具の仕事になります。
次にすることは、大げさなものではありません。条件をひとつ決めて、書いておく。それだけで、来年の味噌は今年の味噌の続きになります。
