発酵の沼 — 02
麹をつくるとは、酵素を備蓄しておくことです
製麹——きほんが素通りした、いちばん効く工程
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米麹の袋には、たいてい原材料と賞味期限しか書いてありません。「米、麹菌」。500gで四百円のものと千二百円のものが同じ棚に並んでいて、その差はどこにも書かれていません。
きほんの第2章では、麹を「酵素を仕込んだ材料」と呼びました。ただしそこでは、麹は買ってくるものとして扱っています。どう仕込まれたのかには、一行も触れていません。
これは、いちばん効く工程を素通りしたということでもあります。仕込みの日に入っていく酵素の量と比率は、実は麹ができあがった時点で、もう決まっているからです。
種麹は、世界でいちばん古い微生物の商品です
麹菌の胞子は、たしかに空気中にいます。ただし「だから蒸した米を置いておけば麹になる」とはいきません。
長岡高専の研究グループは、屋外にシャーレを約20時間開けて置き、落ちてきた菌から13株の麹菌(Aspergillus oryzae)を分けとっています。ただし、菌を育てる培地はしっかり選んであります。α化米に木灰を混ぜ、さらに全面へリン酸カリウム溶液(pH 8.5)を行き渡らせたものです。木灰を混ぜただけの培地では、これがうまくいきませんでした。木灰に触れていない米に落ちた菌には効き目が届かず、Aspergillus 属以外のカビのほうが速く増えてしまったから、と論文は書いています。空気中にいることと、放っておいて生えてくることは、別の話なんです。
では、その胞子はどこから来るのでしょう。種麹屋(もやし屋)です。麹づくりの初期は、穀物に自然に微生物が生えるのを待つ「自然種付」でした。次に、出来のよい麹を次の種に回す「友種」へ移り、室町時代には種の保存に木灰を使う技術が現れて、「種麹」の製造が始まります。木灰は縁起物ではなく、pHをアルカリ側に振って雑菌を抑えるための、選りわける培地です。偶然を減らすほうへ、六百年かけて動いてきたわけです。
いまの種麹は、数値で言いあらわせます。蒸した穀物に麹菌を接種して約6日培養し、分生子を1gあたり4〜20億個着生させ、40℃以下で水分10%以下まで乾かしたもの。国内の種麹業者は、いまおよそ6社にまで集約されています。
毒をつくれない系統を、人が選び続けてきました
きほん第2章では、「麹菌は、毒をつくる近縁種ときわめて近いのに、その毒素をつくれない」という結論だけをお渡ししました。その根拠を、ここで開きます。
近縁種の名前は Aspergillus flavus。アフラトキシンという強いカビ毒をつくるカビで、麹菌とはコード領域で約99.5%が一致します。オオカミとイヌくらい近い、と言えば伝わるでしょうか。分類学のうえでも麹菌は A. flavus の内側の枝にあって、別の種として分けておくべきかどうかは、まだ決着していません。
A. flavus では、アフラトキシンをつくる酵素の遺伝子が、約70キロ塩基対の範囲に25個以上まとまって並んでいます。ひと続きの製造ラインだと思ってください。日本の黄麹菌でこの並びがどうなっているかを、酒類総合研究所が保存株196株について調べています。
結果は、きれいに二つに割れました。45.4%にあたる89株では、この並びの大半が失われています。しかも失い方が染色体の切断で、切れた端にはテロメア反復配列がついている。テロメアは染色体の末端を示す構造ですから、失われた領域はもう戻ってきません。

七つの遺伝子をすべて持ったままのグループも、105株(53.4%)あります。それでもアフラトキシンはつくりません。製造ラインの司令塔にあたる aflR がほとんど働かず、仮に働いても、相棒として動くはずのタンパク質 AFLJ が機能を失っているからです。
つまり安全の根拠は「毒の遺伝子がない」ではなく、「毒の製造ラインが、いくつもの箇所で別々に壊れている」ということになります。しかも壊れ方は、株によってばらばらです。ここがおもしろいところで、この不揃いさこそが、自然がそう設計したのではないことを教えてくれます。
ただし「麹菌はいかなるカビ毒もつくらない」と言い切ってしまうと、少し行きすぎです。韓国の食品から分離された Aspergillus 19株の報告では、A. oryzae とされた7株がシクロピアゾン酸というカビ毒をつくりました。安全は菌の種名ではなく、株と工程で支えられているものなんです。種麹屋さんの存在意義は、ここにあります。
破精とは、菌糸がどこまで潜ったかの見た目です
きほん第2章では、米粒を覆う白い綿毛を「菌糸の集まり」とだけ書きました。じつのところ、その白さの出方は、米粒の内部で起きていることの映し出しでもあります。醸造の現場では、これを「破精(はぜ)」と呼びます。
大きく二つの型があります。突き破精は、表面の菌糸は控えめなのに、内部へ深く食い込んでいる状態。総破精は、表面も内部も全体に菌糸が回った状態です。同じように白く見える米粒でも、割ってみると断面が違います。

どちらが良いかは、用途で変わります。清酒では突き破精型が求められる場面が多く、味噌や醤油では総破精寄りが良いとされます。味噌は原料を余さず分解しきりたいので、菌糸が隅々まで回っているほうが都合がいいわけです。
潜り方そのものにも意味があります。麹菌の糖化酵素グルコアミラーゼの遺伝子 glaB は、蒸米に生やす固体培養でしか働かず、液体培養での生産量は約20分の1にとどまります。タンクで菌を泳がせても、同じ麹にはならないのです。
酵素力価と麹歩合——同じ重さでも、入っている道具の量は違います
麹に何本のハサミが備えられているかを測る数字を、酵素力価といいます。単位は麹1gあたりのU(ユニット)です。
ここで、ひとつ気をつけたいことがあります。「酸性プロテアーゼ」は酵素の名前ではなく、測り方の名前なんです。基準みそ分析法では pH 3.0・6.0・7.5 の3点でタンパク質を分解する力を測り、それぞれ酸性・中性・アルカリ性プロテアーゼと呼んでいます。いちばんよく働くpHが3の酵素が別にいる、という意味ではありません。
どのくらい差が出るのでしょう。宮城県産業技術総合センターが、同じ仙台味噌をつくる県内2社の出麹を実際に測っています。A社は酸性95.6・中性64.7・アルカリ性5.5(U/g麹)、B社は65.6・46.3・2.7。同じ地域で同じ味噌をつくる2社のあいだに、酸性・中性で1.4〜1.5倍、アルカリ性では2倍の開きがありました。
差を生む大きな要因は、製麹中の品温です。低めに経過させるとタンパク質を分解する側が、高めに経過させるとデンプンを分解する側が強く出ます。ただし上限は麹菌の体のつくりで決まっていて、40℃を超えるとタンパク質分解酵素の生産量は増えません。いちばんよく育つのが32〜36℃で、44℃を超えると育つことができないからです。
| 仕込む味噌 | 品温の置きどころ | 狙い |
|---|---|---|
| 米味噌(標準) | 35℃を標準に制御 | 酵素が出る培養後半を、必要な活性に合わせて調整する |
| 甘味噌用 | 標準より2〜5℃高め | アミラーゼの生産量を増やす |
| 麦味噌用 | 標準より2〜5℃低め | 原料の違いを踏まえて下げる |
柏木(2020)による表です。家庭で麹をつくるための手順ではなく、麹がどう設計されているかを読むためのものだと思ってください。
もうひとつ人が決められること(=変数)が、麹歩合です。定義は「米(麹)の重量 ÷ 乾いた大豆の重量 × 10」。単位は%ではなく「歩(ぶ)」で、10歩なら大豆と米が同じ重さ、20歩なら米が大豆の2倍になります。辛口の米味噌はおおむね5〜10歩で、一般には6歩前後。甘味噌は15歩を超えて、20歩前後が一般的です。甘い味噌の麹歩合が高いのは、糖化する側の力を相対的に強くしているからです。
つまり、同じ「米麹500g」でも、入っていく道具の本数と配分は毎回違います。同じ配合で仕込んでも結果が動くのは、このためです。失敗したのではなく、あなたが握っていない変数がひとつあった、というだけのことです。
生麹と乾燥麹の違いは、菌の生死ではありません
店頭でよく聞かれる問いにも、ここまでの材料で答えられます。
まず、仕込んだあとの味噌の中で麹菌が生きているかどうかは、結果にほとんど関係しません。麹は出麹の時点で水分活性0.90まで下がっていて、そこへ12%前後の塩が加わります。麹菌は、この環境ではもう増えられません。半年のあいだ働いてくれるのは、製麹中に出された酵素のほうです。
酵素は生き物ではなく、タンパク質でできた分子の道具です。乾かしても形が保たれていれば、ちゃんと働きます。種麹の乾燥が40℃以下という低めの温度で行われるのは、生きた胞子を傷めないためです。酵素のほうは事情が少し違いますが、熱に弱いところは同じです。温度を上げすぎると形が崩れて、ハサミとして働かなくなります。
実際の仕込みでいちばん効いてくるのは、水分量の違いです。乾燥麹は水分が少ないので種水を多めに、生麹は水分が多いので少なめに。同じレシピで麹だけ入れ替えると、硬さが変わりますし、塩分を割る分母も変わります。
正直に書いておくと、生麹と乾燥麹の酵素の残り方を同じ条件で並べた公開データは、今回調べた範囲では見つかりませんでした。「生のほうが酵素が多い」も「変わらない」も、いまは数字では言えません。
麹の袋に酵素力価が書かれていることは、まずありません。読めるのは用途と製造日、そして生か乾燥かだけです。それでも、この三つが何を意味しているかを知っていれば、選び方は変わってきます。
黄・白・黒——株を選ぶことは、味を設計することです
最後に、「麹菌」がひとつの菌ではない、という話をしておきます。
2006年10月12日、日本醸造学会は麹菌を「国菌」と認定しました。国の制度ではなく学会の宣言で、対象は三つの群です。黄麹菌 Aspergillus oryzae、醤油用の A. sojae と黄麹菌の白色変異株、そして黒麹菌 A. luchuensis と白麹菌 A. luchuensis mut. kawachii。
黒麹と白麹はクエン酸をつくります。もろみが酸性に傾くので、気温の高い土地でも雑菌が入りにくくなります。焼酎や泡盛にこの二つが使われるのは、この性質と気候の組み合わせで説明できます。
同じ黄麹菌の中でも、株によって中身が違います。味噌用の菌株は清酒用に比べて、アミラーゼ活性で約8%、プロテアーゼ活性で約20%高い平均値を示します。醤油用の A. sojae は、アミラーゼをつくる力が低めです。A. sojae 由来の白色変異株と味噌用の市販種麹を比べた報告では、α-アミラーゼ活性が約20分の1でした。ただしこれは特定の株どうしの比較なので、種そのものの性質としてこの倍率を当てはめることはできません。
つまり味の設計は、配合を決めるところから始まっているわけではありません。きほんでは「人の仕事は蓋を閉じる前に終わる」と書きましたが、実際にはもう一段手前、どの麹を選ぶかまで遡ります。
その麹が備蓄した酵素は、このあと塩の中で働きます。塩については、まだ「菌が使える水を先に奪う」としか書いていませんでした。奪うとはどういうことで、どこまで奪えば足りるのでしょう。ここから先は、その「奪う」を量に置き換えていく話になります。
