発酵の沼 — 03
塩は菌を殺していません。水を先に取っています
水分活性とハードル理論、そして出さない数字のこと
読了目安 約9分

「塩には殺菌作用がある」という言い方は、広く通っています。味噌を半年ほど常温に置いても腐らない理由も、たいていはそれで説明されます。
ところが、味噌の中で塩がしていることは、菌を殺すことではありません。菌より先に、水のほうを押さえること。きほん第4章では、これを「塩は菌の使える水を先に奪う」と書きました。
ここからは、その「使える水」を量として見ていきます。量になると、「どのくらいの塩なら安全か」という問いの立て方そのものが、少し変わってきます。
効いているのは、水の総量ではなく使える水の量です
濃い塩水のなかに細胞を置くと、細胞の中の水が外へ出ていきます。膜をはさんで向かい合ったとき、水は溶けているものが多いほうへ移っていく。これが浸透圧です。菌の側から見れば、体の中の水が抜けていって、代謝が回らなくなります。塩は毒として働いているのではなく、菌の作業場を先に取り上げているだけなんです。

では、菌が使える水がどれだけあるのかを、どうやって測るのでしょう。ここで出てくるのが水分活性(食品の中で自由に動ける水の割合を示す値。記号は aw)です。同じ温度の純水を1.00として、そこからどれだけ下がっているかで表します。おもしろいのは、塩や糖を溶かしても水の総量はまったく変わらないのに、aw のほうは下がるところです。水分子が、溶けているものの周りにつなぎ止められて、菌が持っていける分が減るからです。
味噌は、重さのおよそ40〜53%が水です。全国の鑑評会に出品されたものの分析では、淡色辛口の平均が45.3%、赤色辛口が46.7%でした。半分近くが水で、手で触ればしっとりしています。それでも実際に測られた aw は、いろいろな報告を通してみるとおおむね0.68〜0.83で、その多くは0.7台に収まります。
生きられる下限は、菌ごとにばらばらです
aw をどこまで下げれば安全か。この問いに、ひとつだけの答えはありません。生きていける下限が、菌の種類ごとにばらばらだからです。
日本食品分析センターの分類表では、多くの細菌はおよそ0.90、多くの酵母は0.88、多くのカビは0.80あたりが下限とされています。好塩性の細菌は0.75まで、耐乾性のカビや耐浸透圧性の酵母は、さらに下まで活動できるそうです。この表で味噌と醤油が並ぶのは0.80〜0.75の行で、ジャムやマーマレード、蜂蜜と同じ場所です。

きほん第4章で「塩は選別のフィルターです」と書いたものの正体が、これです。塩を効かせて aw を下げると、耐性の低い菌から順に脱落していって、残る顔ぶれが入れ替わります。味噌の中が清潔なわけではなく、住める者が限られているだけなんです。
気になるのはボツリヌス菌でしょうか。酸素のないところで育つ菌(嫌気性)なので、空気の少ない味噌の内部は条件が合いそうに見えます。でも、食品安全委員会の文献調査はⅠ群の最低発育水分活性を0.94、米国FDAの表は0.935としていて、味噌の実測値はそこを0.1以上下回っています。あわせて押さえておきたいのは、pH は主役ではない、ということです。味噌の pH はおおむね4.55〜5.30で、増殖の下限とされる4.6を下回らない検体も少なくありません。「発酵食品は酸っぱいから安全」とよく言われますが、味噌については当たっていないんです。
低い壁を、何枚も重ねています
壁を一枚ずつ数えていくこの見方には、ハードル理論という名前がついています。aw、pH、温度、酸素、時間、それに先に場所を取った菌が後から来た菌を締め出すこと(競合排除)。どれも単独では越えられてしまう低い壁ですが、重ねると実用的な保存性になる、という考え方です。
だいじなのは、効き方が足し算ではなく、かけ合わさる(相乗)ところです。FDAの表がボツリヌス菌について挙げている条件は、aw 0.935以上、pH 4.6以上、10℃以上、酸素のない環境。このすべてが同時にそろって、はじめて増えうる、という並びです。しかも表そのものに、これらは報告された極値であって、余裕を見込んだ設計値ではない、と注記があります。
壁は、発酵が進むこと自体でも高くなっていきます。好井久雄の測定によれば、味噌の aw を押し下げているのは塩だけではありません。糖が0.013〜0.017、アミノ酸などの窒素成分が0.030〜0.035、合わせて0.04〜0.05ほどを、塩とは別に下げています。酵素が大豆を切って、切られた分子が溶け込むほど、自由な水は減っていく。味を作る反応と、守りを固める反応は、じつのところ同じ一本なんです。
だから、一枚を薄くする変更は、残り全部の効き方を同時に変えてしまいます。宮城県産業技術総合センターの減塩試験が、その実例です。塩分を9%に下げた仕込みでは水分46%が最適で、水分を48%まで増やすと熟成3か月目の pH が4.68まで落ち、酸敗が現れました。塩を減らす、水を足す、途中で空気を入れる。どれも「一項目のちょっとした調整」に見えて、実際には設計全体の作り直しになります。
このサイトが、専門家の使う塩分の指標を出さない理由
醸造の現場では、仕上がり重量あたりの塩分%とは別に、塩と水の関係を表す指標が使われています。ただ、この指標には分母の取り方が二通り出回っていて、一方はもとの文献どおりの定義、もう一方は言葉の感じから生まれた取り違えです。
やっかいなのは、取り違えたほうが、いつも大きい値を返すことです。同じ味噌で、甘い味噌なら1〜2ポイント、辛口の味噌では5ポイントを超えるずれになります。そして大きい値は「余裕がある」ように見えてしまう。つまりこの取り違えは、必ず危ないほうへ転びます。しかも計算式としては成り立っているので、検算しても矛盾に気づけません。
このサイトでも、実際にその取り違えが起きていました。計算の処理が誤った定義で書かれていて、画面の表示を、実際より安全に見せていたんです。直したうえで、指標そのものを表示しない方針にしました。
ですからこのサイトが出す塩分は、できあがった味噌の重さに対する重量%だけです。定義の違う数字を比べないこと自体が、発酵の実務では安全のための技術だと考えています。これは情報を隠しているのではなく、比べられない数字を並べて置かない、ということです。
比率固定のプリセットは、機能が足りないのではなく、選んだ設計です
伝統的な味噌の配合は、実際に測ってみると、余裕のある位置にあります。いちばん甘い低塩の味噌でも aw は0.75〜0.80、平均は0.78ほどです。ボツリヌス菌の下限0.935〜0.94からは、0.13以上離れています。その余裕を生んでいるのは塩の量だけではなく、糖とアミノ酸を含めた組成の全体です。
査読を受けた論文にも裏づけがあります。田中らは、食塩2.36〜5.79%という極端に塩の少ない味噌3種にボツリヌス菌のA型・B型を接種して、25℃で18週間置きました。それでも毒素は作られませんでした。ただし、この3種の aw は0.835〜0.875で、ふつうの味噌よりは高いものの、ボツリヌス菌の下限は下回っています。塩が少なくても aw が下がる組成だった、という条件つきの結果です。塩の%だけを見て安全は語れない、と読むこともできる論文です。
逆向きの事例も、知っておいたほうがいいと思います。食品安全委員会の文献調査は、中国でいちばん多い食中毒の原因食品として、自家製の発酵大豆食品を挙げています。守ってくれているのは「発酵」でも「大豆」でもなく、条件のほうなんです。日本の味噌が事故を起こしてこなかったのは、比率が歴史的に固定されていたからだと考えるのが自然だと思います。
だからこのサイトは、比率を固定したプリセットしか出さず、選べるのは量だけにしてあります。安全を判定するしくみを持たないのではなく、判定が必要な場面をそもそも起こさない設計を選びました。自由な配合を組んでみたくなったら、それは複数の壁を同時に見られるしくみの上でやることで、ここではなくアプリの担当です。責任の分かれ目は、そこに引いてあります。
塩蔵・糖蔵・乾燥は、同じことを違うやり方でしています
ここまでの見方は、味噌の外へそのまま持ち出せます。干物は水そのものを抜き、ジャムは糖で水をつなぎ止め、塩辛と味噌は塩で同じことをする。手段は違っても、行き着く先は「自由な水を減らす」の一点です。分類表の上で味噌や醤油がジャムや蜂蜜と同じ帯に並ぶのは、偶然ではありません。
ただ、保存食のすべてがこの一点で説明できるわけではありません。ザワークラウトを守っているのは主に酸で、お酒を守っているのはアルコールです。壁の主役は食品ごとに違っていて、ある型の常識をそのまま別の型へ持ち込むと、事故になります。台所の保存食を前にしたとき、「これは何で守っているんだろう」と一つずつ問えるようになれば、この章はもう役目を果たしています。
そして味噌の壁は、仕込んだ時点で全部立っているわけではありません。二枚目の壁である酸は、塩を越えてきた少数派が出してくれるものです。その少数派が誰なのかは、まだ名前を出していませんでした。
