発酵の沼 — 04
後半を担っているのは、塩を越えてきた少数の住人です
微生物の遷移と、酸素がないということ
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きほんでは、麹菌は仕込んだ瞬間に退場すると書きました。塩が入って、酸素が減る。好気性のカビである麹菌には、もう増える場所がありません。実際、醤油の諸味を顕微鏡とフローサイトメトリーで追った研究では、麹菌の菌糸が仕込み後に自己消化を起こして、7日目までに数も長さもはっきりと減っていました。
では、そのあとの半年、容器の中には誰もいないのでしょうか。酵素だけが黙々と働く無人の現場なのかというと、そうではありません。塩という関門を越えてきた住人が、ちゃんといます。
ただ、多くはありません。味噌の中は、いろいろな菌が入り乱れている場所ではなく、選抜を通ったごく少数だけがいる場所です。ここからは、その少数派の名前と、彼らが並ぶ順番を誰が決めているのかを見ていきます。
塩分十数%を住処に選んだ、少数派たち
きほん第6章では「乳酸菌」「酵母」としか呼びませんでした。でも実際に働いているのは、その言葉が指す膨大な仲間のうちの、ほんの一部です。主役は三者います。耐塩性の乳酸菌 Tetragenococcus halophilus、主発酵をになう酵母 Zygosaccharomyces rouxii、そして最後に来る後熟酵母の Candida 属(いまは Wickerhamiella / Starmerella に分けられています)。
ここで区別しておきたい言葉が二つあります。「耐塩性」は、塩があっても生きられるという意味です。「好塩性」は、塩がないよりも、ある程度あったほうがよく育つという意味です。T. halophilus と後熟酵母は好塩性で、塩を避けているのではなく、塩のある場所をわざわざ住処に選んでいます。Z. rouxii のほうは耐塩性で、塩がなくても育ちます。「塩に強い」とひとまとめにすると、この違いが消えてしまいます。
| 住人 | よく育つ/耐えられる食塩 | 生育できるpH | 増える速さ |
|---|---|---|---|
| 耐塩性乳酸菌 T. halophilus | 最適は5〜10%。22〜24%でも生育できる | pH 5.0以下では生育できない | 世代時間が短く、最初に立ち上がる |
| 主発酵酵母 Z. rouxii | 18〜22%まで生育できる | 無塩ならpH 3〜7。食塩18%下ではおよそ4〜5に狭まる(株差が大きい) | 30℃でコロニーが見えるまで2〜3日 |
| 後熟酵母 Candida 属 | 最適は5〜10%。23〜25%でも生育できる | 食塩17%以上でもpH 3〜7と広い | 30℃で5〜7日。いちばん遅い |
この表の食塩の数値は、培養実験に使う培地の重量に対する%です。できあがった味噌の塩分(味噌の重量に対しておおむね5〜13%)とは別の数字なので、そのまま並べて比べないようにしてください。
表の右端を見てください。増える速さが、三者でまるで違います。実は、この差がそのまま登場の順番になります。誰かが指揮をとっているわけではないんです。
バトンを渡しているのは菌ではなく、環境の書き換えです
順番はこう進みます。まず麹の酵素がデンプンを切って、糖が増えます。その糖を T. halophilus が食べて、乳酸を出します。仕込みのときに5.7〜6.0あったpHが、5.0前後まで下がります。そしてこの乳酸菌は、pH 5.0以下では生育できません。自分が出した酸で、自分が増えられなくなってしまうのです。
入れ替わりに条件が整うのが酵母です。Z. rouxii は、食塩18%の環境ではpH 4〜5あたりでしか育てない株が多い。乳酸菌が下げてくれたpHは、ちょうどその帯に入ってきます。前の住人が自分の都合で書き換えた環境が、そのまま次の住人の入居条件になっている——これが遷移の正体です。

ただ、「pHが下がるから乳酸菌のあとに酵母が来る」とだけ覚えてしまうと、あとで崩れます。乳酸菌が先に立ち上がる理由は、少なくとも三つあるからです。
- 仕込み直後のpH 5.7〜6.0が、もともと T. halophilus の好む帯に近いこと。スタートで有利な位置にいます。
- 乳酸菌のほうが世代時間が短いこと。同じ号砲で走り出せば、単純に速いのです。
- 蔵ではしばしば、培養した乳酸菌を酵母の10倍量入れること。先手を取らせる設計が、人の側でも組まれています。
pHの効き方も、相手によって違います。後熟酵母の Candida 属については、実務でも「諸味のpHが5.3くらいまで下がってから加える」とされていて、この仕組みが強く効きます。一方、主発酵酵母の Z. rouxii には、高い食塩のもとでもpH 3.5〜6.5で旺盛に育つ株群が実在します。食塩18%・初発pH 6.0の混合培養では、乳酸発酵は酵母の増殖に影響を与えず、むしろ酵母のほうが乳酸菌の発酵を抑えた、という報告もあります。ですから「乳酸菌が先」は頑健ですが、「pHが下がらないと酵母は働けない」のほうは、後熟酵母にはほぼ必須、主発酵酵母には有利だけれど絶対ではない——というあたりが、一次情報に忠実な読み方だと思います。
なぜ酵母は、糖を最後まで分解しないのでしょう
ここで、この本がずっと使ってきた「発酵」という言葉に、実は二つの定義があることを開いておきます。ひとつは食品科学の定義で、微生物の働きで食べものが人にとって有益に変わること。酸素の有無は問いません。もうひとつは生化学の定義で、外から電子の受け皿を借りずにエネルギーを取り出す、酸素なしの代謝を指します。この二つは、きれいには重なりません。
生化学の側から見ると、事情ははっきりします。酸素があれば、微生物は糖を最後まで分解して、二酸化炭素と水にできます。グルコース1分子からおよそ30個のATP(細胞のエネルギー通貨)が取れます。酸素がなければ、そこまでは行けません。分解を途中で止めて、余った電子ごとアルコールや乳酸という形で外に捨てるしかない。取れるATPは正味2個ほどです。

つまり、味噌の香りのもとになるアルコールは、酵母がわたしたちのために作ってくれたものではありません。酸素のない場所で生き延びるために、しかたなく捨てている老廃物です。糖を最後まで使い切れないのは、能力の問題ではなく、経路の制約なんです。
もっとも、味噌の中が完全な無酸素かというと、これも近似です。蔵で行う切り返し(天地返し)の目的には、均一化と放熱に加えて「酸素を供給して酵母の増殖を促す」ことが正式に含まれています。Z. rouxii は増殖には酸素を要し(好気的条件でのみ増殖すると書いている文献もあります)、一方でアルコール発酵そのものは酸素なしで進みます。後熟酵母の Candida 属は、それより低い酸素でも増えられます。ここがおもしろいところで、実態は「嫌気」ではなく「微好気」、あるいは酸素が足りない系と呼ぶほうが正確です。
増え方には、決まった型があります
微生物の増え方には、決まった形があります。増え始めるまでの誘導期、爆発的に倍々で増える対数増殖期、増えも減りもしない定常期、そして死滅期。味噌のように長い系では、いくつもの種のこの曲線が時間差で重なるので、全体としてはなだらかな交代に見えます。
実測の数字を並べておきます。28〜32℃で85日熟成させた辛口の米味噌では、乳酸発酵は熟成の比較的初期に進んで、30〜40日目で終わりました。酵母は株群によって20〜30日目または40〜50日目に最高菌数へ達し、アルコールが1%に届くまでには15日から25日かかっています。もっと低い20℃で18か月追った味噌の試験では、270日目には培養できる微生物が一切検出されなくなり、それ以降の分解は麹由来の残存酵素によるものとされました。
ここで見落としやすいのは、味づくりに効いているのが対数増殖期の菌数の多さではない、というところです。菌がいちばん勢いよく増えている時期よりも、定常期に細々と続く代謝のほうが、時間をかけて味を作ります。だから菌がほとんど検出されなくなった後半でも、味は変わり続けます。
もうひとつ。菌数は対数目盛で見ないと、形そのものが見えません。1グラムあたり10の4乗と10の6乗は「2つ分の差」ではなく、100倍です。ふつうの目盛りで描くと、立ち上がる直前の助走がぺったり潰れて、ある日突然増えたように見えてしまいます。なお、いま挙げた数字はいずれも、乳酸菌と酵母を人が加えた仕込みのものです。何も加えない家庭の手前味噌では、菌数もタイムラインも、この通りにはなりません。
うまくいかないときも、同じ言葉で説明できます
この遷移がうまくいかない場合も、これまでと同じ語彙で説明できます。温度が高すぎると、乳酸菌が走りすぎます。醤油では「早湧き」と呼ばれる異常発酵で、pHが急に落ちると麹菌の中性プロテアーゼとグルタミナーゼが弱り、窒素の利用率が下がります。さらにグルタミン酸がピログルタミン酸に変わって、旨味そのものが減ってしまいます。pHは低ければ低いほど安全でおいしい、という直線ではありません。狙いたい帯があるんです。
寒仕込みが理にかなうのは、ここです。低温で仕込むと、乳酸菌の初期の急増そのものが抑えられます。pHが一気に落ちないぶん、麹菌の中性プロテアーゼが働ける時間が伸びます。醤油で早湧きを防ぐために行う「冷却仕込み」も、諸味の初期品温を低く保って、同じことを狙う操作です。温度を「発酵を速める・遅らせる」つまみとしてではなく、「pHが落ちる速さと、酵素が働ける時間の配分を変える」つまみとして見ると、伝統的な段取りが設計として読めるようになります。
では、塩を効かせずに温度を上げたらどうなるでしょう。それは失敗ではなく、別の設計です。大豆を無塩のまま40℃前後に置くと、枯草菌(Bacillus)型と呼ばれる系統になります。納豆はこの温度帯におおむね16〜24時間、韓国のチョングッチャンは2〜3日置きます。味噌の壁は、その道を意図的に閉じています。
そして、腐敗菌が定着しない理由も「殺されているから」ではありません。栄養と場所をすでに先住者に押さえられていて、増える速さで負けているからです。これを競合排除、あるいは拮抗と呼びます。味噌の中でも、実際に起きています。エチルアルコールを加えた試験では、0.5%で乳酸菌の増殖が緩慢になり、1%以上ではほとんど増えなくなりました。蔵はこれを逆手に取って、酵母を乳酸菌の10倍入れて乳酸発酵を抑える「酵母多量添加法」という技術を持っています。
受け渡しは、上流でも自動ではありません。麹菌の株によっては、耐塩性乳酸菌の生育を邪魔する物質(ヘプテリド酸)を作ることが報告されていて、乳酸菌を加えたのに乳酸が出ない、という現場の困りごとの一因になりうるとされています。発酵は「よい菌を増やす技術」であると同時に、「ほかを走らせない技術」でもあるわけです。
顔ぶれをどう知るか——培養しない方法
ここまで菌の名前と数を並べてきましたが、それはどうやって数えたのでしょう。古典的な方法は、試料を培地にまいてコロニーを数えることです。確実な方法ですが、決定的な弱点があります。その培地で増えない菌は、いても数に入らないのです。生きているのに培養できない状態(VBNC)の菌も取りこぼします。
いま使われるのは、増やさずに読む方法です。16S rRNA という細菌に共通する遺伝子の配列を読んで種類を割り出す解析や、試料に含まれるDNAをまとめて読むメタゲノミクス。培養できる菌が全体のごく一部でしかないと分かったことは、微生物生態学にとって決定的な転換でした。
この視点を持つと、前の節の数字の読み方も変わってきます。「270日目に検出されなかった」は、正確には「培養では検出できなかった」です。日本語の一次文献の多くは1970〜80年代の平板培養によるもので、情報の密度は高い一方、この取りこぼしを含んでいる可能性があります。
そして、味噌そのものを時系列でメタゲノム解析した研究は、まだ多くありません。家庭で仕込まれた味噌の菌叢に至っては、断片的な報告があるだけです。分かっていないのではなく、まだ十分に測られていない——この測る手段こそが、次の章で扱う「蔵付き菌は本当に味を決めているのか」という問いを、確かめられるものに変えました。
